誠信クラブ

行政視察

2002.02.12〜14

宮崎県日南市 「観光行政について」

宮崎県都城市 「都市計画について」



         
日南市議会事務局

 日南市の観光行政について、日南市商工観光課・梅田課長から説明を受ける。観光行政については、東南アジアからの観光客受け入れに対してまで、とにかく積極的である。


宮崎県・日南市

 日南市は、宮崎県の南部に位置し、東に日向灘を臨み、西は都城市・三股町、南は南郷町、北は宮崎市・北郷町に隣接している。宮崎市から日南市を経て鹿児島県に至る延長112kmは全国有数のリアス式海岸で、日南海岸国定公園の指定を受けている。また、日南市を中心とした一帯は総合保養地域整備法の指定を受けており「宮崎・日南海岸リゾート構想」等のプロジェクトが推進されている。 総面積は、294.4kuで、面積の約77%が山林である。 人口は、約46,000人。平均気温は、17.7℃で、全国16位。年間を通じ温暖な気候である。暖候期は高温多湿で梅雨・台風・秋雨前線等による大きな被害を被りやすい特性を持っている。


日南海岸国定公園
 日南海岸国定公園の観光施設として、歴史を感じさせる「鶏戸神宮」、130万本を超えるウチワサボテン群で有名な「サボテンハーブ園」、イースター島のモアイ像が迎えてくれる「サンメッセ日南」がある。
 「鶏戸神宮」は、神武天皇の父君を御祭神として奉り、創建は第十代崇神天皇の時代と伝えられ、その本殿は日南海岸の洞窟の内にあり、朱塗りの鮮やかな建物である。縁結び、安産、育児を願う人々の拠り所であり、また、剣法発祥の地としても知られてる。日南市では、観光客が一番多く訪れるという。
 我々が訪れた時も、東南アジアからの観光客の団体が複数いて、ここが日本の観光地なのかと疑うような雰囲気であった。
 また、「サボテンハーブ公園」は、日南海岸の太平洋を見下ろす斜面に、130万本を超えるウチワサボテン群やハーブ園がある。サボテン温室、ハーブ温室、メキシコ館等の施設もあり、太平洋を展望できるスカーレットベル(展望台)がある。
 また「サンメッセ日南」は、世界で初めて実現したイースター島の完全復刻「モアイ像」がある。公園内にはユネスコ本部世界遺産センターが指定した約440の遺産の中から43の遺産のパネルが展示されている。「モアイ広場」「モアイ岬牧場」「岬広場」「太陽の丘」等遊べる所もある。
 また日南市は、プロ野球「広島カープ」のキャンプ地としても有名である。


日南海岸



鶏戸神宮



飫肥城

お城の中に、小学校がある。
大変素晴らしい環境で教育が受けられる。


飫肥城周辺の重要伝統的建造物保存地区

市民と一体となった保存活動を展開している

重要伝統的建造物保存地区
 日南海岸の観光資源とともに、城下町としての古い歴史と文化も貴重な観光資源である。九州の小京都と呼ばれる「飫肥」 は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏の5万1千石の城下町として栄えたところで、復元された飫肥城大手門、本丸御殿の松尾の丸をはじめ、藩校や武家屋敷通、町並みと合わせて、国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されている。
 この保存地区内にバイパスを作るために区画整理をしているが、区画整理した地域内は、建築に対しての申し合わせを決めている。@家は日本風に統一。A家は、溝から1mさげる。B軒は溝まで出す。C軒の高さを決める。Dケバケバしい色は避ける。そうした市民と一体となった街並み保存運動を展開している。

 日南市の堀川運河は、宮崎県内唯一の運河で山岳から伐り出される飫肥杉の集荷、移出のために当時の藩主が3年の歳月をかけて総延長900メートルを完成させた。まぐろ漁で知られる「油津港」から堀川運河周辺には、マグロ漁の道具の倉庫として、また漁師たちの宿泊所として利用された赤レンガや色壁の倉庫の通りが残っている。映画「男はつらいよ」第45作「寅次郎の青春」のロケ地の主舞台となったところでもある。


 以上のように、観光資源にめぐまれた日南市の観光客の入込み数は、年間約120万人である。(@鶏戸神宮・約70万人・Aサボテンハーブ園・約20万人・B飫肥城周辺・約12万) 宮崎県内からが約45万人。県外が約75万人で、そのうち海外からが約2.5万人とうーいう。最近では、特に東南アジアからの観光客に力を入れている。観光パンフレットや観光案内板を、中国語やハングル文字で製作して積極的にPRをしている。 
 ちなみに笠岡市は、年間約50万人の観光客で、その6割が笠岡湾干拓地内の「太陽の広場」である。日常的な公園利用者だけでなく、公園の広場を使ってのグランドゴルフ大会等のニュー・スポーツのイベントへの参加者の他に、手軽に家族やグループで遊ぶことができるとあって近隣の広島県東部からの客が目立っている。しかし太陽の広場への観光客からの経済効果はほとんど期待できない。
 一方で、既存の観光地である笠岡諸島や美術館・博物館等は、観光客が伸び悩んでいる。瀬戸内海国立公園の笠岡諸島という魅力ある観光資源を活かしきれていないという現状を考え直す必要があると思う。
 また笠岡市には、「生きた化石」と呼ばれるカブトガニをテーマにした、世界唯一の博物館である「カブトガニ博物館」や、郷土出身の日本画家「小野竹喬」画伯の作品を展示した「竹喬美術館」があるが、街並み全体を整備するに至っていない。中心市街地は、古くは港町・門前町として栄えたが、区画整理事業により、その景観は一変してしまった。また西の浜地区には、港町の象徴としての倉庫群があるが、保存もされず解体されたものもある。もっと観光という視点での街づくりを考え直す必要がある。またこれからの観光には、国際化が求められてきていると痛感した。

 日南市の場合、城下町としての古い歴史と文化をうまく整備・保存して観光資源として大いに活かしている。また日南市においては、プロ野球「広島カープ」のキャンプ地としても有名であるわけだが、市を挙げて絶大なる歓迎をしている。広島カープの2軍が使用している球場の横に、飫肥杉を使用して建設した屋内体育施設も見学させて戴いた。また1軍が使用する球場は駐車場が狭く、近隣の市営住宅を解体して駐車場にする計画があると言う。こうした広島カープのキャンプによる経済効果が年間約7億円と言われていた。
 また年間を通じて様々なイベントも実施して集客に務めているという。そして住民参加型として、「日南市観光ボランティアガイドの会」が会員28人で、ユーモアを交えた史跡の解説をしているという。 

 笠岡市においては、中心市街地の活性化を目的に「おかげいち」と銘打ったイベントを市・商工会議所・商店街の三者共同で、商店街でのフリーマーケット・抽選会等を通じて「にぎわい」の創出に努力している。商店街での地域リーダーの育成や、最近では地元、小学生や高校生の出店があり、住民参加による地域の活性化を目指しているところである。また、毎年夏には「笠岡港祭り」において、土曜日夜の「よっちゃれ」踊りに、地域・職場・グループなどで連を作って参加しているが、もっともっと広がりが必要である。

 地域の特産品の開発ということで、日南市では、「伝統的な味」という27ページの冊子に。郷土料理の作り方をわかりやすく記している。また「里の味と技」という57ページの冊子には、地元の伝統的な味の銘菓・海産物・果物・蜂蜜等、また伝統的な工芸品が掲載されている。これを見た観光客が直接、訪ねることができるように案内地図も掲載している。また後日、宅配できるような注文書(FAX・はがき)・アンケートまであるので、リピート客に対しても配慮している。

 笠岡市においては、もともと海の幸と果物に恵まれたところで新鮮な食材は多いものの、特産品・土産になるものが少ない。現在、笠岡特産のイチジクを使った「イチジク抹茶羊羹」や白石島で採れるやわらか昆布を使った「とろける昆布」や、北木島産出の花崗岩を使った小物等の開発を行っている。そうした特産品の開発を積極的に取り組まなければならないと思う。

 日南市においては、美しいリアス式海岸を持ち、国定公園に指定されている素晴らしい自然環境を活用して、海水浴場やキャンプ場、ケアハウスなどの観光施設を整備している。また飫肥城周辺の重要伝統的建造物保存地区、日本の棚田百選の「坂元棚田」等の観光資源を有効に利用している。また広島カープのキャンプ地としての市を挙げての絶大なる支援、観光の国際化等、観光行政の積極的な取り組みを大いに見習う必要があると感じた。

 とにかく笠岡市においては、瀬戸内海国立公園の美しい島々をもっともっと活用しなくてはならないはずである。瀬戸内海の島々は、「癒し」の場としての魅力があるはずである。積極的な観光行政の推進とともに、市民が「行動」をおこさなければならないと思う。

 



宮崎県都城市
 都城市は宮崎県の南西部で鹿児島県と接する、都城盆地の中央に位置している。人口は約13万人、面積は306.7ku(30,670ha)で、宮崎市と鹿児島市のほぼ中間にあり、地理的条件に恵まれ交通の要所として、南九州圏域の産業・文化の中心として発展してきた。恵まれた雨と太陽、肥沃な土の都城は農産物の宝庫である。
 大正13年に、市制施行され中央地区を中心に、1,970haであったが、周辺4村1町と昭和42年に合併した。
 都城市は、南九州内陸部の交通の要衝として古くから開けてきた。そして今、九州縦貫自動車道の全線開通によりハイウエイ時代に対応する交通の利便性がクローズアップされようとしている。
 半径40キロ圏内に宮崎空港、鹿児島空港があり、宮崎港、志布志港にも1時間以内で連絡できるというアクセスの良さを備えている。また現在、九州縦貫自動車道や東九州自動車道などの整備も着々と進められている。
 産業としては、肉質の高さを誇る「都城和牛」をはじめとして、「ブロイラー」「豚」など、南九州有数の畜産基地となっている。また、朝霧が育てた香り高い「都城茶」、おいしい地下水でつくった焼酎は、市を代表する名産品である。
 地場産業では、市内の豊富な木・竹材を利用した加工品が多く国の生産量の90%を占める大弓や木刀、民芸調の都城家具など伝統的な職人工芸が有名である。
 主要産業は、第1次産業であり、全国第4位の農業粗生産額(平成11年・統計調査)である。中でも畜産経営が盛んで養豚・飼育牛は全国1位、養鶏も全国3位である。
 人口密度は4.3人/ha、住宅地地価は27,500円/uで九州では最下位である。

都城市議会
 全国で都市計画の線引き解除したのは、都城市だけという事で、全国から行政視察に来られるという。視察に対してマニュアル化されており、まず女性職員から都城市の概要と、線引き廃止に至った経過の説明を受けた。



都城市の全景
 広大な盆地で、平野部分の面積が大変広い。合併した地区が、かつては市街化調整区域であり、不公平感の不満が続出したという。



線引きを廃止した背景
 線引き制度の創設に伴い、都城市では昭和45年11月27日に市街化区域及び市街化調整区域の区域区分を決定し、合併編入した旧町村のほとんど全域を市街化調整区域に位置付けた。この区域には、当時の都市計画区域内人口の37%、約46,000人が居住し、また、市街化区域面積2,170haに対してその約4.9倍にあたる10,570haの広い地域が設定された。
 一方、都城市に隣接する4町は、都城広域都市計画区域の中で人口集中地区を市街化区域に設定し、都城市に合併編入した町村との間で大きな不均衡が生じた。その後、3回の線引き見直しを行なったが、市街化調整区域では、住宅の建築や企業立地などの開発行為が著しく規制され、過疎化・高齢化の進行と相まって、この地域の活性化を阻害する大きな要因と見なされるようになり、しだいに住民の不満が蓄積してきた。このような中、住民の陳情や線引き廃止に関する議会質問が相次ぎ(10年間で約40回)、昭和63年4月22日に均衡のとれた地域振興を図るため、線引き制度を廃止した。

住民等の反応
 市街化調整区域において土地利用の制限を受けていた住民からは特に歓迎された。そして、線引きの廃止後においても線引きの役割だった乱開発の防止についてはある程度ルールを守って行なわれ、地域社会が保たれたことからも不満はなく住民は満足しているようだ。

廃止後の地価動向
 線引き廃止後の地価の動向については用途地域の縁辺部において一部地価の上昇が見られたが、長期的には落ち着いてる。また、全体的な地価の動向については、地価調査基準地の標準価格の推移をみると住宅地においてはほとんど変動がないという。商業地においてもほとんど変動がないが、平成2年に5%以上のプラス変動となり、その後マイナス変動となっている。これは全国的傾向である。

廃止後の建築確認申請の推移
 廃止前は、市街化区域において増加していたが、廃止に伴い減少傾向に転じた。反面、用途地域外は微増傾向が相当数増加した。廃止前は、年間7対3(昭和63年・1,064件対439件)の割合で市街化区域が多かったものが、ほぼ半分(平成11年・615件対608件)程度となった。

税収の動向
 市街化区域(用途地域内)農地は、宅地並課税から一般農地並課税としたので、結果として下がったが、税収全体の動向については、市街化区域農地で評価額が一部下がった影響もなく順調に推移している。

人口の動向
 新築住宅の建築確認申請件数は、昭和62年までの5年間は毎年1,000件前後だったのが、昭和63年以降平成8年までは、1,200件を上回る水準で推移している。そして平成6年には1,400件を超えた。ここ数年は落ち着きをみせているものの、農業振興地域を除いては、旧市街化調整区域でも住宅建築ができるようになったことを受けて、建築が活発化している。
 人口については、線引きを廃止した前後の6年間は減少を続けていたが、平成3年以降、大学誘致により学生が増えたことや民間企業の進出などに伴い増加に転じ、平成2年の130,153人から平成10年には133,367人と、約3,200人が増えた。特に旧市街化区域の周辺に位置する地域では,昭和63年から平成9年までの増加率が50%を越えるところもあり、30〜40代の世帯を中心に増加したという。最近は微減(全国的な高齢化による減少)となっているが、宮崎県内では延岡市の人口を追い越し、宮崎市に次ぐ人口となっている。

現在の状況
 旧市街化区域の縁辺部で人口が増加しており、また、建築確認申請も旧市街化区域と旧市街化調整区域とは半々の状況となっていることから、当初期待していた効果が現われている。一方市街地が広がったことに伴うインフラの整備不足や農住混在化などの問題も生じているが、こうしたデメリットを差し引いても人口増などによる街の活性化につながったという。
 最初に挨拶された市議会議長から、線引き廃止で都城市が元気になったと言われた。ただ担当した都市計画課は大変な苦労があったそうである。そうした苦労を乗り越えて、全国で始めて「線引き廃止」を実現させたわけである。特に当時は、国の許可が必要だったわけだから、その苦労は容易に想像できる。とにかく「やればできる。」という事実を証明したわけだ。国が作った法律は、人が作った法律である。法の網があるから、できないとあきらめては何もできない。「地域の実情に合った見直し」を勝ち取った貴重な実例に勇気付けられた。

廃止によるメリット
 社会形態が確立し、住みたい所に住めるようになった。また雇用の整備が構築され、用途地域外の人口が増加した。旧市街化区域と農業振興地域の農用地との間に残された農振白地に点々と中規模開発が行われた。用途地域外農地に大型店舗が林立するという懸念があったが、実際は用途地域内に集中し、用途地域外は1件のみであった。

廃止によるデメリット
 線引き廃止後の数年間は経済状態も良く、市街化調整区域に位置したところも住宅建設が進み人口も増加したが、それに伴い都市基盤整備(道路・学校・公園等)が後追い行政となり、非効率的な投資がかさんだ。また農住混在により水質汚濁等環境問題のトラブルが増加したという。一方、旧市街化区域内人口が減少し、縁辺部に市街化区域が拡大していった。

反省点
 線引き廃止の際、あまりにも「はずす事」に主眼をおきすぎた。ある程度「きまり」を織り込む必要があった。地域性を考慮し、住民意見を十分に反映し、長期的展望にたった検討が必要である。

笠岡市における都市計画の見直しについて
 都城市の先進事例を視察して、線引き解除に対しての問題点の整理ができたように思う。まず、線引き廃止は必要だと思う。なぜならば30年前と現在では時代が大きく変化した。30年前の都市計画はこれからの時代に即していないと思う。現在の線引き制度を見直し、新たな都市計画のマスタープランを作成しなければならないはずである。
 都城市の反省点で挙げられているような、ただ「はすず事」に主眼をおくのではなくて、ある程度の「ルール」「しばり」が必要だと思う。また農住混在による水質汚濁等環境問題も、下水道が5年以内に整備されない地区での建築に対しては、合併浄化槽を義務付けるような、事前のルール作りが必要だと思う。
 固定資産税に関しては、市街化区域の農地が、宅地並課税から一般農地課税となり、一時的に税収の落ち込みが予想されるものの、旧調整区域内の宅地が増えてくれば、税収の増は次第に期待できると思われる。
 但し、都市計画税については、今まで約30年間払ってきた市街化区域の方々との差をどのようにするのかを検討しなければならない。この問題は特に慎重に議論する必要があると思う。
 都城市では、旧市街化区域には都市計画税を課税しているが、旧市街化調整区域には都市計画税を課税していない。そして、旧市街化調整区域は用途地域の指定もなく、旧市街化区域より建築しやすい条件となっていて矛盾を感じた。この問題について都城市民からの不平がないというので驚いた。考え方とすれば用途地域は旧市街化区域であり、優先的に快適な街づくりを推進していく地区であるという事である。
(都城市では、旧市街化区域が用途地域として都市計画税を課税している。旧市街化調整区域は用途地域外という事で、都市計画税を課税していない。ちなみに用地地域外の約5割以上が農業振興地域という。)
 
 また笠岡市の白地、いわゆる高島以南の島であるが、これらの地区の国立公園として自然公園法の規制も見直す必要があると思う。(自民党では緩和を検討していると仄聞する。)
 個人的な見解だが、線引き解除しても用途地域はそれぞれの地区の実情に合わせて指定するべきではなかろうか。また農業振興地域についても、地域の実情に合わせて再検討するべきだと思う。
 実に有意義な視察であり、「元気」を与えて戴いた。3月定例会の一般質問で「やればできる。」という趣旨で執行部に質してみるつもりである。