環境福祉常任委員会
行政視察

2006.11.10




東京都国立市
「滝乃川学園」


東京都国立市

 国立市は、東京都の西南部にあって、東は府中市、西は立川市、北は国分寺市、南は多摩川をはさんで日野市と接している。
 新宿から中央線快速で約35分のJR国立駅から、南へ真っすぐ伸びる大学通りは幅が約44mのメインストリートである。
 大正から昭和のはじめにかけての開発当時は、飛行機の滑走路にも使われてたという。
 現在、その道の両側のグリーンベルトには、桜といちょうが交互に植えられ、春には桜の花びらのカーテンがまちをピンク色に染めて、秋にはいちょうの葉が黄金色の輝きを放ち、この景色は新東京百景にも選ばれ、「くにたち」の象徴となっている。
 人口は約73,600人、面積は約8.15km2


滝乃川学園・正門

滝乃川学園・本館

(国登録有形文化財指定)


滝乃川学園


 国立市にある滝乃川学園は、日本最古の知的障害者の養護施設で、プロテスタント系の社会福祉法人である。
 1891年に立教女学校教頭の石井亮一により創立された聖三一孤女学院が起源で、創立当初は、少女の孤児を対象とした保護施設であった。
 濃尾大地震の際も多数の孤児が発生し、その中の少女たちが売春目的に取引されている実状を耳にした石井亮一が、現地に駆けつけて21名の少女孤児を引き取り保護したことが始まりという。
 21名の少女孤児のうち、2名に知能の発達に遅れがあることから、知的障害者の保護・教育・自立のための総合的な施設になっていった。
 その後、滝乃川(現東京都北区)から、巣鴨に移転したが園児の火遊びがもとで火災を起こし、園児数名が焼死する惨事に見舞われ閉鎖を決意するが、支援者たちの尽力により、財団法人としての認可を受け、初代理事長に渋沢栄一が就任し、再建を果たした。
 そして1928年に現在の国立市に再移転した。
 


滝乃川学園児童部
 児童福祉法に基づいて知的障害のある児童の受け入れ。
 明治24年12月30日開設、昭和23年7月1日認可。定員30名 短期入所者5名。

滝乃川学園成人部
 知的障害者福祉法に基づいて18歳以上の知的障害者の受け入れ。
 昭和45年4月1日開設認可。定員108名 短期入所者3名。

認知症高齢者グループホーム やがわ荘

 介護保険法に基づき、要介護者である認知症高齢者の自立した日常生活を送ることを目的としている。
 平成17年6月1日開設認可。定員9名。


本館2階・講堂

サポート棟

地域生活支援センター


1.アシスタントサービス色えんぴつ
  (2000年4月1日設立)
2.東京都知的障害児等相談支援事業
  (2001年10月1日東京都より受託)
3.居宅介護事業
  (ホームヘルパー事業)
4.国立市通級指導学級送迎サポート事業
  (2001年4月16日国立市より受託)
5.生活寮・グループホームバックアップ事業


国立市心身障害者(児)緊急入所

 在宅で心身障害(児)を介護している保護者が、病気・休養・その他の事由により家庭での介護が困難な場合、短期間施設に受け入れ。

生活寮・グループホーム
 昭和62年5月1日、最初の生活寮「高橋寮」開設。
19ケ所(グループホーム17ケ所、生活寮2ケ所)
利用者96名。

福祉文化室
 滝乃川学園の一世紀を超える歴史とそれを支えた建学の精神の研究、及び福祉の啓蒙を行っている。
 「福祉文化」についての研究・保存・蓄積・発信。



第2成人部

聖三一礼拝堂
(国立市登録文化財指定)

礼拝堂内の「天使のピアノ」
(国立市登録文化財)

礼拝堂内部

施設内の森には川が流れている

施設・配置図

会議室

認知症高齢者グループホームやがわ荘

地域生活支援センター地域交流棟

石井筆子

 石井筆子は日本女性代表として津田梅子(津田塾大学の創立者)とアメリカでの万国婦人会議に出席し、女子教育・社会事業視察を行い帰国した。
 そして滝乃川学園創立者石井亮一と結婚するや初代理事長を公私共に支え、一体となって学園運営を担い、石井亮一逝去後は第二代学園長を務めた。
 石井筆子の生涯は「筆子その愛」というタイトルで映画化されている。
 また「無名の人」というタイトルでドキュメンタリー映画化もされている。