西部地区養護老人ホーム組合議会
行政視察

2005.10.18




福井市ふれ愛園


福井県福井市

 福井市は、九頭竜、足羽、日野の三大河川の扇状地として福井平野に発達した北陸における主要都市である。人口は約254,000人、面積は340.60Ku。
 昭和20年7月の空襲、昭和23年の福井大震災と再度にわたって全市が壊滅し致命的な打撃を受け、さらに水害、風害と幾多の災害に見舞われたが、市民の不屈の復興への意欲により、これを乗り越え、昭和43年には第23回福井国体の成功、また戦災復興土地区画整理事業の完成等、今日の「不死鳥のまち福井」を築き上げた。
 そして平成元年には市制100周年を迎え、この間国際化社会に対応すべく、海外3市と姉妹、友好都市を提携し、国際交流を図るとともに「しあわせな明日への生活づくり」「安全で快適な環境づくり」「心のふれあいと人づくり」の3つを市政推進の柱として「住みたくなるまち」の建設を目指している。


福井市ふれ愛園・全景

福井市ふれ愛園・コスモスホール


福井ふれ愛園

 福井市・保健福祉部が所管する「福井市ふれ愛園」は、様々な生活環境や経済的理由により、家庭生活が困難な老人・児童の措置養護施設である。
 この「福井市ふれ愛園」の特徴は、養護老人ホームと児童養護施設を併設した、複合的社会福祉施設である。
 養護老人ホームの定員は100名(平成17年4月1日現在・男49名・女49名・計98名・平均年齢・77.35歳)で、原則65歳以上で、身体的・精神的・環境的・経済的理由により一般家庭 で生活ができないお年寄りに生活の場を提供している。
 児童養護施設の定員は40名(平成17年4月1日現在・男16名・女15名・計31名・就学前6名・小学生14名・中学生8名・高校生3名)で、離婚・長期入院等の事情により、家族と一緒に暮らせない乳児以外の子供達(18歳まで) を家庭の代わりに養育し、自立の応援を行なっている。
 施設の敷地面積は約18,000u、建物の延面積は約4,400uである。


 「福井市ふれ愛園」の沿革

 明治31年、仏教各宗派の僧侶及び有志が中心となり、永平寺管長を総裁に、県参事官を院長に発足したのが始まりである。
 その後、昭和8年に福井市文京1丁目に移転、養老部を併設して「慈光園」と改称した。
 昭和20年「慈光園」は空襲で全焼し、福井県同胞援護会福井支会が事業を継承、母子寮、保育所、宿所提供施設等を併設した。
 そして昭和22年4月に福井市に移管され、「第一社会厚生園・慈光寮」と改称した。
 昭和23年4月に養護老人ホーム及び養護施設して認可を受けたが、昭和23年6月に福井大地震で全壊した。
 そして昭和44年3月、現在地に敷地造成を行い、翌年3月に養護施設が完成し、昭和46年3月に管理棟・集会棟・職員宿舎が完成した。
 建築後20数年を経過した平成6年8月から増改修工事を行ない、平成8年3月にリニューアルオープンした。
 平成6年10月には福井市の機構改革で「福井市ふれ愛園」と改称している。
 そして平成13年4月に構築中だった園内ネットワークが本格的に稼動した。
 養護老人ホームと児童養護施設を併設した、複合的社会福祉施設という事で、施設も職員も大変明るい。

養護老人ホーム・食堂



養護老人ホーム・通路

養護老人ホーム・四人部屋


養護老人ホーム・中庭

養護老人ホーム・洗濯室


養護老人ホーム・風呂


児童養護施設

 施設の子供たちについては、乳児以外の子供で、保護者がいなかったり、保護者がいても養育放棄等の理由で養育させることが不適当な場合、その子供たちが入園する施設となっている。
 昨今の複雑で多様化した社会、家族関係のなか、子供として安全で安心した生活が送れるよう充実した諸施策を提供している。
 また、健全な社会人として巣立つことができるよう、自己決定の促進等、積極的な養育にも取り組んでいる。
 子供たちは、地域の幼稚園(年長児のみ)、小学校・中学校・高校等に通っている。
 学校が休みの時は、園の行事などで楽しく過ごしたり、保護者と過ごすこともあるという。

 

児童養護施設・玄関

児童養護施設・食堂

児童養護施設・二人部屋

児童養護施設・未就学児

児童養護施設・ホール