誠信クラブ
行政視察

2008.08.22




長崎県諫早市

「諫早湾干拓事業について」



長崎県諫早市

 長崎県諫早市は、長崎の中央部に位置し、西側は長崎半島、南側は島原半島の付け根となる。
 平成17年3月1日に諫早市、北高来郡飯盛町・森山町・高来町・小長井町、西彼杵郡多良見町の1市5町で合併し、14万人都市となり長崎県第3の人口になった。
 北東部は佐賀県との県境で、西側に大村湾、東側に有明海(諫早湾、南側に橘湾と3つの海に囲まれており、諫早湾干拓で有名である。
 人口は約144,800人、面積は約312.20ku。


北部排水門からの堤防

諫早湾干拓堤防管理事務所・会議室


諫早湾干拓事業


 諫早湾の干拓は古くから行われてきたが、平成元年に農林水産省による国営干拓事業を着工した。
 計画面積は、造成面積が約842ha(農用地等面積:約816ha)、調整池面積が約2,600haである。

 事業目的は、防災機能の強化 (干拓背後地の高潮・洪水・常時排水不良等に対する防災機能の強化) と、優良農地の造成 (地形的に平坦な農地に乏しい長崎県において、大規模で生産性の高い優良農地を造成)の2点である。

 営農計画 は、露地野菜・施設野菜・施設花き・酪農・肉用牛で、事業費 は、 2,533億円である。
 平成9年に潮受堤防が閉じられ、かつては「宝の海」と言われた有明海に海底への泥の沈殿、水質汚染が生じて有明海全体が死の海となり、二枚貝のタイラギが死滅、奇形魚の増加、海苔の色落ちなど重大な漁業被害が発生し、自然団体、だけでなく沿岸の各漁業協同組合の厳しい反対運動が展開された。

 一方では魚類の漁獲減少や水質汚濁には、海苔養殖業者が消毒目的に散布した酸や化学肥料による影響との主張もあり、海苔養殖業者と他の漁業者との紛争も発生している。


諫早湾干拓事業の歴史

 平成13年、当時の武部農林水産大臣が、干拓事業の抜本的な見直しを表明した。
 しかし武部氏の農林水産大臣退任後、農林水産省は一転して推進の立場に逆戻りした。
 そして平成17年8月には、漁民らが公害等調整委員会に対して求めていた、「有明海における漁業被害と干拓事業との因果関係についての原因裁定申請」が棄却された。
 潮受堤防の締め切りから約10年後の平成19年11月20日に完工式のが行われ、12月22日には、潮受堤防の上に全長約8.5kmの諫早湾干拓堤防道路が開通した。
 平成20年6月27日に、干拓事業と漁業被害と関連を問う裁判で佐賀地裁は漁業被害との関連を一部認め水門を5年間開放するよう命じる判決を言い渡したところである。


諫早湾干拓事業・平面図

諫早湾堤防工事の模型

失敗百選

 諫早湾干拓事業による漁業被害の事例は、文部科学省の外郭団体「科学技術振興機構」のまとめた失敗知識データベース「失敗百選」において「海苔を始めとする漁獲高の減少など、水産業振興の大きな妨げにもなっている」として公共事業の失敗例として事例提供された。
 「組織・管理・企画・戦略の不良、利害関係未調整での事業開始、誤った判断、狭い視野、社会情勢に未対応、調査検討の不足、事前検討の不足、環境影響調査の不十分な計画設計、走り出したら止まらない公共事業、裁判所による工事差し止め命令、二次災害、環境破壊、赤潮発生、漁業被害、社会の被害、人の意識変化、公共事業不信」と厳しい指摘をしている。


干拓事業推進派

 諫早湾南岸の諫早市小野地区及び森山町地区には推進派住民が多い。
 この地域は江戸時代から昭和期にかけて広大な干拓地を形成した地域である。
 このため、この地域では不足しがちな水を干拓地水田のクリーク網にためていたが、梅雨時期の集中豪雨で大きな被害が何度も発生するという大きな問題があった。
 この問題を解決するには諫早湾干拓事業による堤防の外の水面を下げる調整池が有効であると考え、干拓事業の推進を唱えた。 
 国や県が諫早湾干拓事業は、地域の人命と財産を守る防災を目的としているのは、こうした一面もあるようだ。


諫早湾干拓・潮受堤防 延長約7km

諫早湾干拓事業による防災効果

 全長約7kmの潮受堤防を設け、調整池の水位を低く(標高マイナス1.0km)を管理することにより、高潮・洪水等に対する防災機能の強化と常時の排水不良の改善を行っている。

 平成16年の台風16号・18号において、近隣の島原市では高潮被害が発生したものの、潮受堤防内の干拓地及び周辺地域ではでは高潮・波浪による被害は発生していない。

 また集中豪雨の洪水時における防災効果も、画期的である。


北部排水門

諫早湾干拓の広大な農地

中央干拓地の前面堤防の案内板

左の案内図「現在地」から北側を(海側)
広大な葦が茂っている